Le vent du Marseille

風のように、気の向くまま…

The mercenary is a consumable item.

金をもらってその対価として、「仕事」をする。

それが本の少し命懸けと言うだけ。

生きて戻ったときの対価がそれなりなら、手段を選ばず生きて帰る。無論仕事はこなしてのうえで。

そういう割りきった関係ならば手切れもいいし、最低限の自分のスタンスさえ守れれば納得のうえで、仕事を淡々とこなせるだろう。

そこは逆転しない。
スタンスがメインには決してならない。あくまでも金を稼ぐための仕事をするための自分へのルールとしてと言う程度だ。

その内容は関係ない。
守るためなのか、攻めるためなのかも。
革命兵のようなものでもボランティアではないのだ。身銭も身体も差し出すのは、大義名分や、勝ち取った対価の大きさが桁違いだからだ。

ボランティアは、反対なの。
リターンがないことに人は本気になれない部分が残るから。

忠義でもない。

仕事が終わったらサヨウナラなのは、「支払いが終った」時でしょ?

「みんな、私のためにありがとう!」

何てことはあり得ない。
表向きそう言ったとしても、ちゃんと見返りは後で出てくるはず。

さて、何が出てくるのかしら?
楽しみだわ。

I'd like to say sorry to you...

普段より個人の感情的なものなので文章が順序もなにもおかしいのを先に書いておきます。読みやすいとは到底思えないので(いつも読みやすいものを書けてるとも思ってはいませんが)

いつも、勢いに任せて不要な事まで発言したり、調子にのって余計なことやオーバーになって迷惑をかける。

だから、最後にせめて「ごめんなさい」すら、
「言う機会」となるはずの最後も来ず、永遠に伝えることなく私の前から、消えてしまう。


でも今までと本の少しでも変わるように、お礼だけは見えるところに残しておきたい。

確かに私がこのような姿をするようになったのはそれを後押ししてくれた人がいたから。
でもそれでも飽くまで「らしい格好」という意味でしかない。

始めた頃は迷いばかりだった。
技術も何も疎か以前に殆ど知識も持たず、
「このままで良いのか?」
更に、心の奥から出てきた
「都合よくマイノリティ」と自ら呼び、頃合いがくると、
「噂好きの醜い精神の、私の一番嫌いな女性像」と言う人には正直「負けたくない」他からはあまり理解されない感覚が理想(又は行き着く先)が「元は肉体的に男性として産まれたことは悔やむも何もない。が、外に出ても(完璧とは言わない)都度尋ねられたりすることがない位」
と言う目標は出来た。
ただ私の場合はこの中に自分でも嫌だと感じている女性的(無論全員でもなく見かける率が高いと言うだけ)な嫉妬や否定の仕方があることは自覚がある分可能な限り抑えて、出来れば純粋な感情表現にしたいと思う。

私の「私らしさ」を「見てくれていた」人達が、やるのなら本格的に、出来るところまで、と言う部分まで引き上げてくれたと思う。

男性としての生活ありきだから女装な訳で、でもそのバランス感覚や精神的な面をここ最近特に崩してしまっていたようで、私には今まで後押ししてくれていた人達へ、申し訳ないと言う感覚が、正直今の気持ちである。

「そんな人じゃ…」より
「想像以上にめんどくさい人」
と思われたから、今まで連絡を絶たれた人が数人いたのだろうと思ってます。
私も後悔の念で心苦しいですが。

Vendetta

同サブタイトルの作品が上映されていますが…
ご存知のように、私が歴代続けている今では数少ないゲームのサイドストーリーが既に三作目となりましたが、
ここ最近の一人称視点になってからは、ゲーム自体もゲームを攻略する楽しみと言うよりは、1つの映画のような作品と既に思い始めた矢先にCGアニメとして本当に出てしまった、ということですが、単にゲームの流れだけと言うことではなく上手く時間軸等を調整していると思います。
無理に実写版を作るより、キャラが生き生きしていますし。

今回の副題
Vendetta
イタリア語で「復讐」となりますが、その通りのお話ですがまだまだ上映してるのでネタバレを避けつつも…

どんな理由があっても、よろしくはないとは言え、気持ちは解ります。
どんな悪人でも、プライベートはあり、また家族まで悪人と言うわけでもありませんし。

今回はヒールが男性と言うこともありますが、

愛する家族、これから家族になる、そんな人達が自分の目の前で自分以外残されてしまったら、私も同じことを考えるでしょう。
私は自覚できている部分でも、ベースになっているのはこのような正確なので…

力によるものもあります。精神的なとのちがいがあれどそこに「男ならでは」とも言えなくもないですが、
綿密に企てるが、最後に都合よく自分の為にだけ存在するような世界も不用と思うほど復讐が全てを無にして戻る術も経つことまで準備する部分。

感情任せの復讐劇は昔から多いですし、全出野ようなものににたものも無論ありました。

ただ、感情的に、ある程度は自分に火の粉がかからないようにして実行しても「それを自分が実感し味わう」為には、自分の生活も守ることは避けられないので、私には半端と言うか、

そんな程度で収まるものならそもそも復讐するほどでもない

位な事案と個人的には思います。
無論復讐の規模にもかなり左右されるでしょうが、
復讐のような旗から見ても見映えがいいものではないことに足を踏み込むなら綺麗事も何も無い、退路も経つ覚悟は、普段の仕事との変わりもない気もします。

アクションを取り上げられる作品ですが、私は人間くささが楽しめるシリーズだと思って観ています。

酒に浸りたくなるのも解らなくもないので(笑)

True? About what?

私が「女装(自分的にはこの言葉が最適とは感じず、Transvestiteと言いたいところですが)」へと踏み込んだのは、「本格的」との部分はまだ極最近で、しかもメイクが至らないのでなおのこと「異性装」でうろうろしているわけですが、そこでお仕舞いにしたいわけでもなく、ただまだ見習い生というだけですが、
女装されている方々それぞれ経緯やどう解釈しているかなどは違うとは思いますが、私の場合は学生時代から「異性装未満」のような半端な格好を比較的好んでやっていた延長とも言えるし、その経緯は「着たい服が男性用に余りなかったから必然的に着たいもの、欲しいものを選んできた結果」であり、同時に「男だから~だ」と括られることが苦手というよりは「その理由がまるで根拠もなく理解しがたい」事への反発だったのだと思う。

端的には周囲からは「へんなやつ」で終わってしまうことも多い。理由など聞く必要もないとの判断だろうし、知りたいほどの関係でもないも含むだろう。一部「聞くまでもなくそれがあなたの姿」とシンプルに受け止めてくれる方もいるのはそれが少ない比率だとしても、嬉しい。

不定期ながら、「男性である」を強調しようとした時期があった。無意識の場合もあったかもしれないが。
その場合の状況は、男性を強要されるからとかではなく、自信で「肉体的に負けたくない」や「趣味(体を使うものが多い)を長く楽しむためには身体をケアしなければならない」と物理的にと言うことが余り考える前にそうさせていた、またその頃は大体趣味などに仕事以上に打ち込んでいて、自分の身体や性的な晴れない気持ちも影を潜め本人が考えるのを停止してしまった時期と今思うと感じます。

たった二年ほど前です。
時期的にはこの季節辺りだったと記憶しています。
久しぶりに学生時代前後によくうろうろしていた店の並んでいたエリアで、まだその頃私の好んでいたタイプの服を販売している店にふらっと立ち寄った際、思いが蘇り「かつてこういう服に憧れ、着れるスタイルもなりたかったし、似合う外見になりたかった」と、気がつけば、数点購入をしていましたが、持ち帰り家で広げてみると「果たして買うことはできたが、(世間的に)似合うのだろうか?自宅のなかだけのコスプレで終始終わってしまう年齢ではないか?」と暫くはにらめっこしてはしまうの繰り返しでした。

流石にそのままそれを続けているのも妙なので、その頃とくに服装など含めて話をしていた方がいたので、相談がてら着てみた姿をみてもらった際に、
「いいんじゃない?それに着たい服着ることも、着れるサイズがあるなら、それは好きなものを、あからさまに異様な格好が好きとかでもないからいいと思う」
この事が切っ掛けで、先ずは買ったものがもう少しフィットする身体へと絞る(ギリギリ過ぎて座れなかった)などしつつ、更に今まで長い間趣味などの実用面のみで普段着も買っていたので、昔に思い、その後蓋をしてしまった部分へ、今更だけどその思いは叶えたいと、服も見て回ったり着ている人を参考にしたりなどしつつ段々と方向性が絞れてきた。

「この姿も、自分の裏側等ではなく、自分自身で、今まで表に出せなかったが本当はそこを含めた理解を得たかった」
そこには、趣味がら男性比率が多いものが多かった為に話の流れで趣味の事を話すと「男性らしいね」と少ないながら言われることもあったが、それ以外で「端から端まで男性らしいね」とも殆ど言われない(態々言う必要がないと思われてるのかもしれませんが)こと、友人が出来た、またそこまでいかずとも会話をよくする相手が全く性別を意識せず(態々意識する方が変だとは思ってます)周囲も私のこんなキャラクターを受け止めて、時には冗談も、時には叱られる事もありますが、一貫して「男性だから○○」等とは一切つかず接してくれていて、時折自分のなかでの「そういえば、気にせず使っている言葉や話し方だが、近しい人含め男性では余り使う姿を見ないな」とも幾らか思う節もあり、
「私が女性でないことは事実。だけど部分的にそのような側面もあったことを、今まで蓋をしていたのが表に出始めたからなのか?」と思う頃に同時に「男性の生きやすさ、辛さ、考え方、それはわかる。でも時折女性が会話しているときの同意している姿の意味も何処と無く理解できる。いい面、悪い面共に」
そう思うと言うことは、いい部分も悪い部分も自分も持っているとなり、
そこで何故か、
「理想の女性像」
を追い求めるようになってしまったような気がする。
少ないながら女性と喧嘩をしたことが、半端ではない無いようだったので女性不振にもなった。当時は女性と知り合いたいとすら思わなくなった事もある。
数年たって、「あれはその人個人への怒りだった」とはわかるようにはなりましたが。

しかし、何故かその様な場面のあとに、単に嫌いになり避けるだけでは終わらず、頭をよぎるのは
「見返してやる」
と状況的には同性でなければ話が進まない内容にもなるわけですが、私の攻撃的な面が、所謂男性の喧嘩っぱやいとも少し違う、男性でも負けたくない、見返したいはあるが、
「あんな女性にはなりたくない」と既に女性でもないのにそう考える自分が、自分でも不思議ではありました。
姿形で競える訳でもないのに。

でも、今の自分は、
女性の服を着る。普段着も兼ねるようなものであれば外出時にも。
メイクは、ハードルは高いが、出来る限りのところまではなれるようやってみる。
でもその時でも、全てを女性的にする事ではなく、内面は意識的に変えよう(注意されるほどよろしくない点は勿論気を付けるべきと思ってます)とはせず、今まで通り。

装飾に関してばかりになりましたが、最後に、
「これらを理由に、恋愛対象が決まっている訳ではない」
とだけ。
男女でなく、
「芯のある、信頼できる人」
その結果が男性なのか女性なのかのあとからの結果でしかないと、そう思います。

長々しまりの無い文章ですね(笑)

Jag älskar dig, Sverige.

今日、6月2日は、私にとって15年前から特別な日になりました。

マニアと呼ばれることが多いですが、その根本は割りとミーハーで、それでもこの歪みっぷりから、真っ直ぐが既に斜めになっているお陰でそう見られにくいだけなのですが。

私のスウェーデン好きも発端はその様なものでしたが、決してマイナーではないのに掘り下げられるほど取り上げられないというあたらず触らずのポジションがかえって深みに向かわせた気がします。

そもそもは、観る側でしかなかったサッカーではありましたが、そこそこ当時はそつなく観てもいたなかで、これもまた有名な選手ですが他の選手と比べてメディアに出る量が圧倒的に違ったこともありましたが、彼のプレイスタイルが好きでいつの間にか憧れの選手になっていました。母国代表以外でも各クラブでも活躍し、例え若手の台頭でベンチに甘んじても、スーパーサブとして、流れを変えたいときにしっかり短時間で結果を出す、打てるときには打つ、フィニッシャーが間違いなくいたら、正確なクロスもあげるのもコンバートされる前ウイングだった技術もいかしている。

Henrik Larsson
バイキングの雄とも呼ばれてもいましたが、元々はカーボベルデからの移民二世で、代表のなかでは小柄な方。
でもその姿はそんなことも感じさせない、勇ましい姿でした。

そんなスウェーデン代表を追い続けても、所詮海外の代表。
観ることも叶わないと諦めもあった反面、いつか観に行く事もまた夢として願っていましたが、2002年、それが日本で叶うとは本当に夢にも思いませんでした。

その初戦、ワールドカップグループリーグの、これまた因縁と言われ続け、さらに、グループ自体が「死のグループ」とまで呼ばれ、どのチームにも勝ち上がれる望みと敗退との隣り合わせの激戦と組み合わせ時点から呼ばれて注目されていました。

England v Sweden

ある種の「兄弟対決」とも呼ばれている組み合わせ。
ランキングや総合評価では頭1つ以上上のイングランドに、毎回何故か食らい付き、30年近くもスウェーデンが負けず、悪くとも引き分けに持ち込むのは、サッカーの世界では
「兄の後ろ姿を追うようだ」と表現もされていた。

しかし、不思議と、他でも「ジャイアントキリング」を度々起こし、1994年にもワールドカップ3位になる反面、ワールドカップ出場枠を争う予選や、国際Aマッチでは、これも度々「これは負けないだろう」という方をよく落とす。
その為ランキングにした際に上がりきれずその部分で、選手個人個人は各国で活躍しつつも国自体のランキングが微妙なところも、私はかえって惹かれるところだ。
強い相手には、何がなんでも、捨てるものもないのでがむしゃらに食らいつく姿。

貧相だった子供時代に憧れたヒーローの1面もかいまみえた。

気がつけば、サッカーやフットサルも、観る側でなくする側になり、下手の横好きでしかないけれども、まだ細々続けている。
その上、もう1つの趣味からなにから、何事においても目が向いてしまう国になり、私の男性面が余りに一般的に言われるスウェーデン男性に似ている(家事はかなり満たないですが)事も他人の気がしなくなるもとでもあり、また女性面は、「憧れの像」に最も近いのもスウェーデン女性なのは、思い過ごしか勘違いかと言われても、私個人の「ハマり方」と受け流してもらいたい部分ですが、

軍装品も、中立(スイスとは取り方が違いますが)を保って独自の装備のスウェーデン軍装備を集め、本国に買い求めるまでに。
代表ユニフォームもそうなってきましたが…そこは仕事のお陰から取り寄せにあまり手間を感じないからでしょうが。

私らしく無いような、らしいような、
今日だけは毛色の違う呟きです。

Idag är min speciella dag sedan 2002. I 2002 har jag sett matchen i England mot Sverige i VM i Japan.

Jag kände att det var som en dröm och min dröm blev sant då. Jag glömmer aldrig det. Tack Sverige och uppmana dig också.

Sverige var inte ett drömland, ändrat till mitt hopp då.

Если ты хочешь меня побеспокоить, убей меня. Если возможно.

私は、私の心を動かし、自分の信念を曲げることなく前に向かっている人に、恋をしているのかもしれない。

正確には、それが恋かどうかは恋をしたことがないから解らないけれども、一般的にそう呼ばれるものは、それに近いものだと最近感じてきた。

 

恋は一方通行だからということも含め。

 

辛い一言で、居なくなってしまった人を見たときの痛みは、私を二度と同じような姿の人を見たくは無いと思わせ、せめてものヒントにでもなればと物書きを始めた。

でも「彼等」に邪魔をされ、また、私の稚拙な文章もまた、殆どは誰の所へも届かなかったと力の無さを悔やんだ。

 

今は、この様な自分の気持ちや考えを細細ブログにしたためる位が手一杯でもある。

書く能力も、表現方法も、まだ再度模索している。

届かなくても、少しでも伝わるようにしたい。

私が誰をどう思うかで幾分内容も書き方も変わるだろうが、本質的には「自分を大事にしてほしい」事以外はその瞬間瞬間の思いを書き足す位ではあるが、単にコラムなどの様なある程度ストレートな表現ばかりでなく、

私が今頃になり「何故、作品のようなものを世に出したいと思ったのか」

がぼんやりとだが、解ってきた気がする。

 

自身の投影や、説明書的な文章だけでは伝えきれない感情のような物を形にしたかったのだと思う。

私なりの表現方法と言えば聞こえはいいが、コラムなどだけでは伝えきれなかった部分を補うのに、別の手法が必要だったのだと、今は思う。

 

道標にも、灯りにもなれない私には、過去からの経験を積み重ねたものくらいしか出せない。

 

1分、1秒でも、立ち止まってくれるくらいの心の余裕になってくれたら、

 

後には戻れないのは、私も同じ。振り返ってもそれが変わることはない。

 

あと私に出来る事といえば、

その進む道を邪魔する物を退かす事くらい。

A Traitor ? Don't make me laugh...

戦いのなかに平穏など無い。

生きて戻るも、次に送られるのは更なる地獄。

生きて帰るためには何でもする。

 

例え裏切りであっても…

 

でも生きて帰って、どうする?

次に待つも地獄にもかかわらず。

いっそのこと死ぬ方が遥かに楽ではないか、地獄の繰り返しもなく生き延びるのに疲れる日々からも逃れられる。

 

 

別に物騒なことを書きたかった分けでは無いのですが、

ここ数週間、モヤモヤと言うよりは、ショックな出来事から、自分はなんだったのかと自問自答する日々が続いてました。

厳密に言えば、答えなどは出ていませんが、何処かで線引きをしなければ自分のしてきたことを思い出して笑うしかない程、それも自虐的でしかなく、自分で傷口を抉る様なものでしかない。

でもそれくらいしなければ忘れて同じ事を繰り返してしまいそうだから、距離を置くことにした。

 

私も甘え、甘やかされ、

そして、甘やかしていた。

 

お互い様と言ってしまえばそれまでだが、私との関係は、端的に言えば「都合の良い女」、

掘り下げても、「五月蝿いけど、気をそらすためには喋らせておけば余計な事を言われずに済むから」であり、

「都合が悪くなった時の保険」

として維持したかっただけにしか、例え当初は違ったのだとしても、今がそうなら私にはもう他の見解はない。

「昔は良い奴だったのに…」

は今の私にはない。私にもそんな余裕がないことは知っているはずにもかかわらず。

 

別にギブアンドテイクの量の問題ではない。

 

保険があったから物事の進みが遅かったのなら、無くして毎日に追われて生きていることを実感すれば良い。

 

ただ、そんな生き方をしていた人達が、よそ様に「道案内」など出来るかは疑ってしまう。

 

私がキツかったときに、言葉だけでも気持ちの伝わる一言でもあればもう少し考えていたと思う。

でも思い返しても、聞いては貰えた点に関しては、他では聞くに耐えないほどの事を聞いてくれたと感謝しています。

でもその聞いてくれていた意味と、本当に聞くだけでしかなかったことから、時計の針を戻しても、同じことになるだけだろうと思う。

本当に聞いてくれていたのなら、いくら私の話の8割が意味がなく残りが言いたかったこととはいえ、私がこれから起こしそうなことも推測できるだろうし、あのような対応を揃ってすることも無かったと思う。

 

私じゃなくても良かったんじゃない…