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Le vent du Marseille

風のように、気の向くまま…

Если ты хочешь меня побеспокоить, убей меня. Если возможно.

私は、私の心を動かし、自分の信念を曲げることなく前に向かっている人に、恋をしているのかもしれない。

正確には、それが恋かどうかは恋をしたことがないから解らないけれども、一般的にそう呼ばれるものは、それに近いものだと最近感じてきた。

 

恋は一方通行だからということも含め。

 

辛い一言で、居なくなってしまった人を見たときの痛みは、私を二度と同じような姿の人を見たくは無いと思わせ、せめてものヒントにでもなればと物書きを始めた。

でも「彼等」に邪魔をされ、また、私の稚拙な文章もまた、殆どは誰の所へも届かなかったと力の無さを悔やんだ。

 

今は、この様な自分の気持ちや考えを細細ブログにしたためる位が手一杯でもある。

書く能力も、表現方法も、まだ再度模索している。

届かなくても、少しでも伝わるようにしたい。

私が誰をどう思うかで幾分内容も書き方も変わるだろうが、本質的には「自分を大事にしてほしい」事以外はその瞬間瞬間の思いを書き足す位ではあるが、単にコラムなどの様なある程度ストレートな表現ばかりでなく、

私が今頃になり「何故、作品のようなものを世に出したいと思ったのか」

がぼんやりとだが、解ってきた気がする。

 

自身の投影や、説明書的な文章だけでは伝えきれない感情のような物を形にしたかったのだと思う。

私なりの表現方法と言えば聞こえはいいが、コラムなどだけでは伝えきれなかった部分を補うのに、別の手法が必要だったのだと、今は思う。

 

道標にも、灯りにもなれない私には、過去からの経験を積み重ねたものくらいしか出せない。

 

1分、1秒でも、立ち止まってくれるくらいの心の余裕になってくれたら、

 

後には戻れないのは、私も同じ。振り返ってもそれが変わることはない。

 

あと私に出来る事といえば、

その進む道を邪魔する物を退かす事くらい。

A Traitor ? Don't make me laugh...

戦いのなかに平穏など無い。

生きて戻るも、次に送られるのは更なる地獄。

生きて帰るためには何でもする。

 

例え裏切りであっても…

 

でも生きて帰って、どうする?

次に待つも地獄にもかかわらず。

いっそのこと死ぬ方が遥かに楽ではないか、地獄の繰り返しもなく生き延びるのに疲れる日々からも逃れられる。

 

 

別に物騒なことを書きたかった分けでは無いのですが、

ここ数週間、モヤモヤと言うよりは、ショックな出来事から、自分はなんだったのかと自問自答する日々が続いてました。

厳密に言えば、答えなどは出ていませんが、何処かで線引きをしなければ自分のしてきたことを思い出して笑うしかない程、それも自虐的でしかなく、自分で傷口を抉る様なものでしかない。

でもそれくらいしなければ忘れて同じ事を繰り返してしまいそうだから、距離を置くことにした。

 

私も甘え、甘やかされ、

そして、甘やかしていた。

 

お互い様と言ってしまえばそれまでだが、私との関係は、端的に言えば「都合の良い女」、

掘り下げても、「五月蝿いけど、気をそらすためには喋らせておけば余計な事を言われずに済むから」であり、

「都合が悪くなった時の保険」

として維持したかっただけにしか、例え当初は違ったのだとしても、今がそうなら私にはもう他の見解はない。

「昔は良い奴だったのに…」

は今の私にはない。私にもそんな余裕がないことは知っているはずにもかかわらず。

 

別にギブアンドテイクの量の問題ではない。

 

保険があったから物事の進みが遅かったのなら、無くして毎日に追われて生きていることを実感すれば良い。

 

ただ、そんな生き方をしていた人達が、よそ様に「道案内」など出来るかは疑ってしまう。

 

私がキツかったときに、言葉だけでも気持ちの伝わる一言でもあればもう少し考えていたと思う。

でも思い返しても、聞いては貰えた点に関しては、他では聞くに耐えないほどの事を聞いてくれたと感謝しています。

でもその聞いてくれていた意味と、本当に聞くだけでしかなかったことから、時計の針を戻しても、同じことになるだけだろうと思う。

本当に聞いてくれていたのなら、いくら私の話の8割が意味がなく残りが言いたかったこととはいえ、私がこれから起こしそうなことも推測できるだろうし、あのような対応を揃ってすることも無かったと思う。

 

私じゃなくても良かったんじゃない…

紫陽花

日毎に様々な花が咲く時期になりました。

丁度、つつじ、ふじ等が見頃のようです。

気が早いのか、紫陽花も幾分綻んできたようですが、ピークはもう少しあとでしょう。

 

私は紫陽花が好きですが、今まで特に花に拘るでもなく大したことも知らず何となくと言う感じでした。

花言葉など、もってのほかというほど。

せいぜい、人に贈るのに赤い薔薇か?というレベルでした。

 

それよりも、もっと物理的に「花は、貰ったときこそ喜ばれたとしても、持ち運びや飾っておくことが大変」という問題や、

「花の由来の名前をつけると、花のごとく短命になるから縁起が良くない」

という方が過る方でした。

 

変わり始めたのは、私が鬱の酷い頃に、精々徒歩で行ける距離の公園にふらっと天気のよい日に出かけるくらいしかできなかった頃、丁度紫陽花の見頃だったので、それを数日間、何処と無く惹かれ、見に行くようになった辺りからです。

 

うっすら紫がかった蒼い花が、一面咲き誇っているなかに、少ないながら白、赤みがかったピンク等違う色もあり、それでもやはり蒼からは目が離せず眺めていました。

 

原産は日本とのことで、「紫陽花」という漢字も当て字に近いものらしいですが、

"Hydrangea"

と呼ばれると、何か違うものにも感じてしまうものでした。

 

皆さんご存じの通り、様々な色になる紫陽花ですが、日本の土地(土壌)の関係で、青色が基準のようなイメージも強いですが、気になったのは「花言葉」、薔薇ですら色毎に異なるので、どのようになるのかと調べたところ、やはり色が多様に変わることから「女性の移り気」に当てはめるものが多く見受けられました。

ですが、決して全てその様なあまり感じの良くないものばかりでなく、咲く季節や咲き方から、愛情を示すものも割りと多く、自分なりにも(飽くまで個人的推測ですが)好きなものがありました。

 

「辛抱強い愛(耐え忍ぶ愛という記述も何処かに有りました)」

これは一般的には青色のみに当てはめられるようです。

梅雨時に一つ一つが小さな花が寄り添っている様子から、家族的な雰囲気もあわせ持った言葉のようです。

現在既に海外でも一般的な鑑賞用の花として親しまれているようですが、原産地が日本とのことと、花の色の変化の原因が土壌のアルカリ性か酸性かでほぼ決まるとのことが、個人的には気になることでした。

 

確かに色が様々に変わる点も有名ですが、「故郷を離れ、見知らぬ土地に必死に的そうとしている姿」にも思え、中には必ずしも赤みがかった色にならない、青を維持している(吸収率の問題で同じ場所に咲いても個体差により色素変化に影響するほどに至らないものらしい)ものなどは、

「揺らがない想いは何処で何を言われようとも変わることなく想いを馳せる姿」

のように見え、私は青い紫陽花が「決して自分ではそこまで貫くことが出来ず、でもその様になりたい理想像」として、自分の中に焼き付きました。

別に、自分が赤い薔薇のような情熱的な訳でもありません。

どちらかと言えば、「あまり聞こえのようない方の紫陽花の花言葉」の方が近いと思います。

優柔不断というか、貫き通せないことなど…

 

人の場合は、相手があって、とはなりますが、相手も人、変化もあります。 時として、数年来続いて、さもこのまま永遠に続くであろうとすら思える間柄すら、たった一言の言葉のあやから、永遠とも言える逆に縮まる事のない距離を生んでしまうことも。

しかし、その逆も、あるはずだと、そう何処かで信じている自分も、例え理想論と言われても、信じたいものです。

 

叶わぬものも、無論含めて…

Le rêve est rêvé.

私は、昔から色々なジャンルに手を出してきてはからの未完でそのままと言うものが多すぎる。

 

それらを遡ると、発端は「作品を作る」なのだが、学生時代に時代と年齢にそぐわずに映画をとりたいと思い、構成を考えたりしていたが、同時撮影機材など高嶺の花で物理的な壁が立ちはだかったために、代替えとして、漫画を描いてみたり、文字に絞り小説にしてみたりと可能な限り作品にしようとはしたが、何れも技量のなさと根気もなく、完成したものはない。

私の駄目な部分です。

 

学生時代、漫画研究部にいた事もあり、それなりに映画も個人的には見たりしていて様々なジャンルがすでにあったとは言え、今で言う「LGBTのような物を含む」というのは、まだ呼名こそ無かったが、BLは存在はしていたので、皆無と言うわけではないが、今の世間で取り沙汰されているものや、またBLのようなものとも違っていた。おそらく今でなら探せば近しい物があるかもしれませんが。

 

図々しくも、自分を準主役的なところに置いての作品だったのですが当時そこまで自分自身に性別違和が顕著だった訳でもありません。

ただどことなく、自分でしか感覚的部分でやりにくいのでは?とはぼんやりとは思っていました。

 

でも、最近は、機材面にコストがかからなくなった事と、自分のことに向き合うことが増えたため、もう一度煮詰めてみようかとは思いはびめました。

小説を細ボソ再開したのはもう一つ別の方のネタデスが、何れにせよ、何かしら形にはしていきたいと思っています。

 

そんなことを思い返し始めた43歳の戯言。

Raça, Nacionalitat i Sexe.

Hola.

 

差別は、人の感覚からも起こることなので一概には言えないけれど、大半は知識不足(又は新たな知識の受け入れ拒否)から起こる「偏見」の延長線上にあると思うことが多い。

 

代表的なものだと、「国民性」とよく括られ、それを元に「区別」と言う名の「差別」をする。

確かに多数派がそうであると、必然的にそう見られてしまう。人は一番目につく所を基準に置きやすい。疑問を抱く前に刷り込まれてしまう。

でも個人で出会った際、向き合っている相手は、「一人間」でしかないから、「国は嫌いだが、そいつは好きだ」と形的には反対の事を言う事になる。でも現実にはそちらのほうが多い。

国となると、多数派の代表者が多数派の為に良い方へと動く為に良くも悪くも「らしさ」が生まれてしまう。

 

こういう事を書いているから私には差別がない、とは決して思っていない。原因はともかく嫌なものは嫌です。

私には、女性嫌悪の部分がある。

とある理由から、一番ひどい頃は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言うやつで、「信じてはいけないもの」とインプットされた。

でも暫くして、以前はそうでは無かったこと、嫌いになったのは「張本人」ないし「それに似た行動や発言をする人」とは気がついた。

実際、女性の友人もいる、助けてくれたり、話を聞いてくれる、姉の様な人達も。精神年齢が低いと自覚もあるのは、自分は「男性という基盤から育ってきた」故未だに幼いのだろう。

 

国民性に関しても、同様な思いをすることが多々あります。

自分でも恵まれていると思いますが、海外、または日本に定住はしつつも国籍が違う友人達が多い。

その上、仕事柄海外の方と接する機会は多い。

いきなり出身国を尋ねたりなどの無粋なことはしないし、仕事上「お客様」としての場合に、そこは「尋ねる意味がない」事でもある。

ただ会話の中で自然とということは多いので最終的にはわかるのだが、「その人」と話をする際にあまり必要のないことだ。

「あまり」と言うのには理由があり、その人を区別して扱いを変えるということでなく、会話上「説明を明確に伝える際にその人の母語でないと自分も相手も何となくのままで終わってしまう」ことが度々起こるためです。

 

説明が入ってしまいましたが、

 

例えを出すなら、

ブラジル人の友人は「目の前の楽しさ最優先」というのもいれば、「将来設計までして、それに向かって進んで叶えた」友人もどちらもいて、共に友人だが、楽観的な方が一般的に「国民性」として例えられる。

でもそれを「そう言う考え方や生き方もある」と思うと「返事が適当」だったとしても、こちらも「ま、なにかやってるから忘れてるんだろう」くらいで悩むことも怒ることもない。

 

正反対に引き合いに出される、これは友人ではありませんが、4年来のお得意様はご主人が「絵に書いたような」ドイツ人とも言える真面目な上に几帳面、四年前に渡した名刺を未だに「角が曲がっていないどころか、シワひとつなく持ち歩いてる」というかたもいる傍ら、飛び込みのお客様でしたが、数年前の通信業界事情から、ご案内できるものが少なすぎて、辛うじてというものも持ち込まれた機器でのテストまで至っていなく、「理論上は動作するはずだが、テストをしていないので出来れば御遠慮願いたい」と伝えると「博打は大好きだし、人生自体が博打みたいなものだ。おれはあなたに賭けるよ(笑)」と「行き当たりバッタリに近い」方とも話したことがある。

別のお客様でも、かなり若いかたでしたが、単身旅行に見えていたようで、商品と共に、移動が何度もあるようだったので、「万が一」を念のためにお伝えして、それでもわからなかったらうちに問い合わせてくれと伝え、商品は御代も頂いたのでお見送りとなるところで、「これをどうぞ」と「チップ」を頂いたことがある。これは他の国の友人に話しても冗談じゃない?とはじめは必ず言われるほど「無い」ことらしい。

「ケチ」と倹約を誤解されているかともあるが、確かにお釣りの1セントすらきっちり確認する程の「国民性」と呼ばれてしまうのも「最終的には個人の考え方でしかない」

そのことは、決して人種や国のことのみでなく、「人を個人として見る」ことが大切で、そうすれば統計学でしかない数字に騙されず接することができ、無意味な偏見からのいざこざもなくなると、そう自分では思っている。

 

私がそれらをすべてできる訳ではないが、自分の方向性として知っておいて良かったと思える経験ができることには感謝している。

男性だ、女性だ、ましてや子供だ、でなく

「あなたはあなた」

として、こらからも接していきたい。

理想化、夢物語、どう言われようが、不完全でしかなくても、理想、夢を現実にしたいと思う。

出来るかどうかはあとでなければ解らないから。

 

画像はお得意様が事前に来店予約までされた上に、ドイツから持ってきていただいたお土産です。

近所にオフィシャルストアがあるので私がサッカー好きなことも覚えてくれていて持ってきて下さったものです。

 

 

 
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The Red Shoulder

私には、便宜上として以外、Xなんて名称はとっくに必要無かったのかも。
確かに「括れない」という意味ではそうなのかもしれないけど、
「私」としか言いようもなく、癒しキャラでもなければ、父でも母でも兄でも姉でもない。

 

男なのかもしれない。

残酷で、容赦なく、茫然自失になるほどの言葉を叩きつける。

仕事に対して、余りにも甘く、とてもではないが、仕事を請け負う自覚が無さすぎる。

真実を伝えただけだから叱責したというのとは違うが、相手からしたらそう見えるでしょう。

女の部分だったのかもしれない。

情があったから、それが改善することで将来が良くなるから言ったとも言えなくもない。

 

ただ、あれだけ私のことが目障りだったのであれば、仕方なく相手をしていたと思うしかない。

 

そのときは、私の考え方の基準を知っているはずなのに、他人事か、まだ私が別扱いにでもするとでも思っているのであれば、そう思っていてもかまわない。

 

その代わり、私がそのときにどうするかも、解っていての行動でしょうから、どんな台詞であってもそれは私の耳には入らない。

あれだけ言ったのにね。

 

辛い思いを口にすることもできずに去ってしまったあの人のような思いをこれ以上は作りたくない、ただそれだけに食らいついていたが、
それを知りつつ、それを都合良く使い、無用となったとたんに去っていくものまで現れる。
騙すより騙された方が良いと、ずっと思っている。
だからそれに関しては私が甘かった、それだけで終わりにするつもりではいる。
ただ、すんなり終わらせるほどの甘さはない。


「お代」はきっちり精算してからというのは「大人の約束」ですからね。 


お涙頂戴も、幸い私には既に流すものは一滴も残っていないから。


それをなんと言われようとも、昔から、私は常々良い続けていた事を覚えていなかったのがわるい。


"No blood" "No mercy" "No blood"

 

残念だけど、「現実」から目を背けた分の「ツケ」とでも思ってもらうしかない。

 

Неразделенная любовь...

人は良くも悪くも、期待をしてしまう。

 

悪い未来もまた…

 

それは様々な要因にもよるだろう。

良いことを期待する割合が高い

そう望む人の方が多いとは言えないが、殆どの人はそうであって欲しいと願うだろう。

悪い方を望んで叶うことは、可能であれば、いや、そちらは叶わないで欲しいと更なる願いをするだろう。

 

しかし全てが自分の思う通りに行くのならば、となっても、相手が人であるなら、我が儘を押し通し、相手の意思などなく自分の都合のみとしか言えないのではないか?

 

少なくとも私はそう思う。

 

私が何十年も生きてきて、大半が然程深いものなど身に付けられなかった人生だったとしても、私よりも遥かに若い人を見ると、否が応でも凡そとはいえ、幾らかの先が推測できる。

統べててはないが。数分の1としても。

 

そこには私の年齢も加味せざるを得ない。

その歳の差は何年経過しようとも縮まる事のない距離。

多くの人は、その差を「二人が想い合っているのなら、関係のないこと」という。

 

本当にそうだろうか?

確かにお互いに気持ちを伝え、お互いに想い、共にいることができたならそうとも言える。

でも、私の頭をよぎるのは、

縮まる事のないこの年月を、私との時間に費やさず、過ごしていたら更に良い未来が、歳の差も考えることのない相手に出逢える機会すら奪ってしまうのではないか?

いや、例えそれで御互いが想い、添い遂げることを望んで、その通りになるとしたら、

私の方が、この世を去る方が早い。

何事もなければ余計に。何事も起きては欲しくない反面だが。

 

そこは相手の気持ち次第だろう。

私が消えてしまって、その後の人生に何か代わりになるようなことを見つけてくれたらそうであっても欲しいし、私のことなどこの世にない、その事に縛られる位ならば心のどこか奥底に眠らせてくれたら新に希望を見つけて楽しく、充実した時間を過ごすことが出来るだろう。

もし、その様に、仕切り直しができなかったなら、私は終わりのない苦悩を置いて、先に消えてしまうと言う最後の最後まで自分勝手な置き土産が、その人を悩ませ続ける。

 

そんなことばかり頭をよぎる。

歳と共に、良い方でないことの方への想像ばかりが増えてくる。

飽くまで、自分が生きてきた感じ得た気持ちなどが加味されてしまう。

そこからは、如何にその人の人生が少しでも良く、長く要られることを想うと、自分の気持ちはそっとうちに秘めるほうが良いのでは?と、考え、

想いを伝えることは良いことを生むとは言えず、遠くから眺めるしかない、それがお互いに長く楽しい時間を取れるかそこばかり考えてしまう。

 

貴女は、貴女の為に進んで欲しいと。

私を信じてくれた、その事だけでも真実であれば。

貴女が何処にいて、何をして、全て何もわかっていないけれども。

少なくとも、私よりは若いとは、端々で何となく察しているにすぎない。

それでも、せめて、その若さにほんの少しでも近付けるよう、身体を絞りほんの数日でも劣っていくことを遅らせるようにだけはと思い、身体や食事には最低限の約束事は守るよう勤めている。

 

何とか、身体だけは15歳近く若返ったらしいけど、それは外見ではなく、肉体的に、ほんの少しでも貴女を見て要られることを夢見て。

その為なら、苦などではない。


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