Le vent du Marseille

風のように、気の向くまま…

Prologue de... Même si vous êtes une illusion d'été, mais même si je suis avec vous.

Then, I went to the North country, for looking for you...

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Where are you...

¿Te importas tan barato como yo? O especialmente te?

Är du Joran Pailsen?

 

Have you ever shown yourself to the enemies?

 

Detrás de tí.

Kämpa för mig själv

うっかり書き損じてしまいました。

感情の起伏に関して、これも全くなかったわけではありません。

ただ負の感情に関しては、溜めていく一方で、忘れるほどの時間経過後に爆発するか潰れるかでしかありませんでした。

じゃあ今は?
と言うのが変化の、と言うよりは蓋をしていた部分が持っていた吐き出しかただったのでしょう。
お陰様でその被害を受けるかたも逆に現れましたので申し訳ないということもありますが、
今私が何かしらに書くかと言うのはその場の発言、その時の感情で、勢い任せで冷静な箇所は少ないです。
独り言に近いです。仕事的に近いところにはすぐばれてしまう狭い業種でもあり、このようなキャラを伝えるのは他所では不可能でもあるので。

溜め込んでも内容的には同じですが、感情的でない分、もっと残酷な事を吐き出すかもしれません。

熟成して良くなるのは葡萄くらいです。

I am me. neither a front nor a back. If you don't understand it, you'd call me "X gender".

かなり前からお付き合いのある方は既にお伝えはしている事ですが、改めてというのも何ですが、付け加えたものを記しておこうと思います。

 

本来見るべきだった方々は既にその必要も無いほど粗末な扱いで去ってくれましたが。

 

私は「恋」と言うものを未だしたことがありません。

正確には、

したことがないままで来たので仮にあったとしても気が付かない

または

「恋の定義」だけが、世間一般で言われている基準に当てはめようとして当てはまりそうです当てはまらなかった

 

これに加わる

「愛情はもてる」

が、ここだけを抜粋されてしまうと、恰もアセクシャルかデミセクシャルか、そのような複雑なセクシャリティなのだろうと勘違いされる。

 

付き合いの長い「赤の他人ではない」友人には、「恋多き」という有り難い称号を頂いているけれど、それがそうなのかの自分へ問いかけることばかりでもある。

本当に恋なのか、と。

 

感情的にはなる。

特にここ数年でその起伏は、傍から見ると私が2つないしそれ以上の人格を持ち、起伏のある面は裏側の部分なのだ、と思われているフシがある。

それは本人の自由だからどうでもいいのでと言わなければいい一言を付け加える方でしたから初めから理解するつもりもなかったようでしたが。

 

確かに自分でも、二面性と思っていた時期は長くありました。

自分のことがまだ全くわからなかった頃ですが、今全て解っているわけでもありません。

少なくとも「自分で蓋をしていた部分」との事だけは解りました。過去の自分に向き合うことを避けてきた頃が別にあとから生まれたものと思わせていたらしいです。

 

学生時代の頃に幾らかの「恋かもしれない」という出来事は若さという経験のなさが加わるのと、自分はあくまでも異性に芽生える気持ちであると言うテンプレートしか持ち得てなかったので、後にもかなりの間恋だったのだろうと思っていましたが、ここ数年での自分と向き合い考え直してみた際に、客観視できるようにまで歳を重ねたこともあるでしょうが、

「コレクションや美術品のように、永遠とその姿を見ていたかった」

「恋ではなく憧れ、その人の内面に嫉妬ないし欲があった」

「恋ではなく情であった」

全てではないかもしれませんし間違っているかもしれません。

最近ですら、私は感情が動き始めると、ピークに届くまでの速度が速すぎ、熱に侵される。これは人間関係に限らずである。

そこも一度考えたことがある。

愛情と言えば、納得できる節があると。

物に対しても同様だからだ。

「物と同じなんて、人相手には違うだろう」と真っ向から否定されたこともあります。

ですが、私には物と人とを区別する意味の方が理解できませんでした。

物だから壊して言い訳ではない。人だから壊してはいけない。

 

物に情は持てないのか?例えば一つの役目しか行えない機械だったとしても、自分の為に動いてくれ、自分をいろいろな意味で豊かにしてくれる自分ではできないことを代わりにしてくれる機械にも?

そのような機能がない物でも、姿形が気持ちを和ませ、楽しませてくれる感情を豊かにしてくれる物にも?

逆ならば、人であるというだけで、自分への扱いや他人への態度も首を傾げるでは済まないのに隣にいなければならないのか?

 

恋と呼ばれている部分を飛び越えてしまうとも言えなくありません。

半端な気持ちで気持ちが揺らぐことはないのですから。

「それを恋と呼ぶんだよ」と言われたら、そうなのかもしれませんが、一つだけ問いかけたいのは、

「あなたがそう思うのもあなたが持つ根拠からで間違いないのか、受け売りではなく」

異性愛者が「それが当たり前」と口を揃えて皆が言う時に対しての私からの問いかけも同じですが。

当たり前と刷り込まれて、疑問を持たず、偶々異性に出会えてそのまま疑問を追求することなく来れたのはある意味幸せなのかもしれませんが、運がいいレベルで、ある意味では

「狭い世界で完結してしまうつまらない世界で満足できるのは、人生で時間を有意義に使えなかった残念さ」

と私は思ってしまう。考えない人は、あまりに多いから。恋や愛などのことのみでなくとも。

 

またこの部分だけを引き合いに出す「あいつは単なる偏屈な天邪鬼なんだ」と言われたこともあります。

多分そうなのでしょう。

物を横から見る癖がある、と言っただけで、その先をこちらから話す間もなく勝手に

「そのように横から見てほくそ笑んで馬鹿にしているような人は気持ちが悪い」

と叩き付けられたこともありました。

私が、嘗て正面、または外面とも言えるその部分である方面からは信頼され、影では自分の思い通りにならない人物を苛めるような人からされる側だったから生まれた余計な考え方で好きでそうなっわけではないが今はそんな自分も好きにたれた、等と長ったらしい説明は聞いてくれることのほうが稀である。

私も伝えずに過ごせるならそうもしたい。

 

「28年前に、一目惚れと思いデートに誘うも断られた女性が、今の茶飲み友達」 

 

などという事はネタにしか聞こえないのかもしれない。

 

また別の機会で、もしかしたら同性の方が好きなのかもしれないかも、とはぐらかすような事を今度は真面目に確認するでもなく、でも「こいつならあり得る」様な納得を早々にされたりするのもまた心外。

 

恋愛などを別にしても、好きになった相手の性別をいちいち確認してから加味したりするのか?

結果がどちらかだったと言うだけなのでは?

 

ここまで恋をするのか否がの様なことばかり書きましたが、私の中で一つ複雑故問題として残っている部分がある。

 

「好きになるとしたら、それは結果でしかないが、そのときに果たして自分は異性としてなのか同性としてなのか、さらにそれにより自分の意思は伝えられるかも変わってくるだろう」

という

表裏と呼ばれるが、その言葉を借りた場合自分が相手を好きになったきっかけなどからした結果、その後の考え方、価値観などは男性寄り、女性寄り、微妙だがある違いを伝えられるのか、受け入れてくれるのか、

 

そんなことを考えなければならない面倒な奴だから

「X gender」

と呼ばれることに異論はない。その方が理解してもらうのに用意になるのであれば。

 

でも己からは言わない。

私は私。

それ以上も以下ないから。

Nobody is there who is waiting me beyond the bridge on the Milky Way.

日付が変わってしまいましたが、
7月7日は、七夕でもありますが、私にとっては特別な日なので、毎年このような事を綴っていますが。

もう33年程はたつでしょうが、未だ見続け、心の何処かで追いかけ、自分を重ね続けるアニメの主人公
キリコ・キュービー
装甲騎兵ボトムズの長きにわたり描き続けられている、あくまでもアニメのキャラクターですが、他人の気がしない、という面、幼少期の強さの欲しかった、理想ともしていたキャラクター。
長い間それだけを追いかけていたと、自分も疑わなかったけれども、時が経ち、色々な角度で見られるようになってくると、不思議な感覚が生まれてきた。

本当は気がつかなかっただけなのかもしれないけれども。

メカ物と思われている節が強いが、蓋を開けてみると人間臭い部分ばかりのようなとても子供向けの作品とは思えない。
そのつもりで作られていなかったらしいけれど。

ヒーローがいるなら、ヒロインもいる。
時間と共に感じたものは、ヒロインの台詞、その言い方や発言のタイミング、感情の出し方、その感覚が、まるで自分がその場にいたなら言ってしまうかもしれないと、その様に感じてきた。
かといって主人公のことが理解できなくなったという訳ではない。

ヒロインも二人(置き換わる)でそれぞれ経緯こそ個となれど、当初は主人公の敵役として現れるも、彼自身火の粉こそ払えど、ヒロインには形式的には勝つ、しかし倒すべきとは思えない、部分的には自分と似た境遇と感じ感情表現は下手だが心を寄せていたのではないかなと。
彼女たちもまた同様な感じだったのかもしれないと。


今年は珍しく、この日に公開の映画があり、レイトショーを見に行った。
第二作目となる
"John Wick chapter 2"
新作なのでこちらに関しての内容は割愛しますが…

キアヌ・リーブス主演のアクション物だが、彼は熱血漢より少し影のある、それでも芯のある役が合うと個人的には思いますが今まで中々全てにその様な作品に恵まれなかったが、爆発的にヒットした"The Matrix"よりも設定からかなり影のある配役になっているが、その片鱗に押さえ込んでいる優しさが、単にアクションの冴える格好良い男、だけでなく(それはそれですごい技術だが)、女性が時々口にする「母性をくすぐる」というものなのでしょうか?
私は個人的には母性は母に限らず、無い人はないものと考えているが、所謂「一人にはできない弱さがある」ということなのだろうか、
一作目で話のコアとなる愛する女性のために、ずっと闇の社会で生きてきた男が日の元にでて共に生きることを選ばせた、抜け出すこと等容易でない、その上闇は辞めさせないための無理難題を最後の仕事として、それを条件に足を洗うことを認める、誰もそれは達成しないと思いわざとその様なことをしたが、彼は成し遂げ裏の社会から抜け出した。
ただ病に伏せたパートナーが亡くなるのは余りにも早く、生きる事にも自暴自棄になりかけていた矢先、彼女はそれを察して「自分は良いから、生きる目的を持って」と、後日本人からの事前の手配から犬がやって来た。
「愛情を忘れないで」
という気持ちを込めて。

ただ、悲しいことは続けて起こり、些細な揉め事から、元々彼がパートナーから危惧されてはいたものの認めてはいた「特別な車」を狙われ、教われた際に、仔犬まで亡きものとされ、彼女からの気持ちを踏みにじまれた挙げ句愛車も取られ、封印していた過去の自分に戻ることを決意した。
ほんの、その為のときだけのつもりと本人は思っていたが、回りは過去を知るものばかり故そうは中々させてくれないが、抗う。

身を引いた世界に戻り、それでもかつての仲間ともライバルとも言える友人に助けられ、最後に目的を達するも、望んで戻ったのではない、怒りと悲しみがだけだったそうさせた分、最後はおそらく虚しさのような、本来はそのこと自体起きなくてよかったこと故に心身共にはてて、おそらく彼はもうどうでも良くなっていたのかもしれない。
気を失いかけ横に倒れていた彼を目覚めさせたのは、最後に無意識に取り出していた唯一彼女との過ごした記録であったスマートフォンの動画からの彼女の呼びかけだった。

まるで、目を覚まし、生きてほしい想いが伝わったのか…

続編になる今回の話はその数日後からではありますが、見所は取っておいて、

その彼女との想いを唯一とし、それを守るため彼自身ですら守り続けていた「ルール」を破ってまで、世界を敵にしても生きることを選んだ。


私には、そこまで出来るのだろうか?

いや、

そこまで想ってくれる人は、現れるのだろうか?


私はいつもこの、ジレンマと戦い続けるのかもしれません。


それでは、満月に祈りを込めて…

Día 6 de Julio, día especial se viene...

もうすぐ日付がかわり、年に数回あるかないかという、吉日だそうです。

特に、事の始めにはとても良いそうです。

ただ予めその様な日取りも数ヶ月、ないし、もっと事前に把握できているならば、
それに時を合わせ、縁起の良い始まりにしたいものです。

探すなり聞くなりはじめからその様な手順を践むつもりであるなら、そうしていたでしょう。


何も信仰していない私でもたまには験を担ぎたくなることもあります。

自分の力だけではどうにもならないことに関しては。

ですが、なるようにしかならない、今までの結果だけが目の前に現れるものと現実的に割り切ってしまう所もあります。

運も実力のうちと言われますが、
そうなるように今まで経験、勉強、人との繋がり、それらの集大成と思っています。

ただ耳にしてしまえば気になるものです。
それをなぜ、数日前に恰かも何処のカレンダーにも必ず記載されているような感覚で言われたら、
それがかえって気になり焦りを生むばかり、何かをしなければという。
準備すらままならぬ開店してしまったレストランのごとく。

導きたいのか、惑わせたいのか、

私には解らない。

恐らく、私の暦とは全く違う世界の理なのだろう。

そう思うしか今の私には出来ない。

The mercenary is a consumable item.

金をもらってその対価として、「仕事」をする。

それが本の少し命懸けと言うだけ。

生きて戻ったときの対価がそれなりなら、手段を選ばず生きて帰る。無論仕事はこなしてのうえで。

そういう割りきった関係ならば手切れもいいし、最低限の自分のスタンスさえ守れれば納得のうえで、仕事を淡々とこなせるだろう。

そこは逆転しない。
スタンスがメインには決してならない。あくまでも金を稼ぐための仕事をするための自分へのルールとしてと言う程度だ。

その内容は関係ない。
守るためなのか、攻めるためなのかも。
革命兵のようなものでもボランティアではないのだ。身銭も身体も差し出すのは、大義名分や、勝ち取った対価の大きさが桁違いだからだ。

ボランティアは、反対なの。
リターンがないことに人は本気になれない部分が残るから。

忠義でもない。

仕事が終わったらサヨウナラなのは、「支払いが終った」時でしょ?

「みんな、私のためにありがとう!」

何てことはあり得ない。
表向きそう言ったとしても、ちゃんと見返りは後で出てくるはず。

さて、何が出てくるのかしら?
楽しみだわ。