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Le vent du Marseille

風のように、気の向くまま…

Sinner

心の琴線に触れるたび

 

それは直ぐに罪の意識へと変わる

 

それは、罪と呼ばれるものでは決してないものが故に

己で責め続けるだけ、終わることがない。

 

それは決して上書きなどされず、積み重なっていくばかり。

削除されることはない。

 

耳に焼き付き、目に焼き付き、離れることはない

触れることも叶わなかったのに・・・

 

齢を重ねていくと、背負うものが増えていくのは生きている証だが

 

それが辛いと投げ出すことは、全てを投げ出すことになり

全てから逃げられることでもあり

 

そして

 

罪悪感を生むもとになった、素晴らしい想いも失うということと引き換えに

 

逃げない選択肢を選んだのは、

その想いが消えてしまうほどなら

棘の道のほうが、

 

生きていればきっと、という

 

望みが聴こえる、貝殻を砂浜で探し続けるほうが、

ゼロよりは遥かに「1」に近い。

 

鎖でつながれた罪人はどこを彷徨うのか・・・

Don't have to tell, Don't have to be known...

「どうした、お前はあれを見るためにこの星にやってきたのだろう?朝日が昇ってしまうときえてしまうぞ」

 

自分の中では決して「あれ」は冷たいカプセルではない。


だが、どこかで区切りをつけなければならないとも思っている。
自分の為とも言えるが、本人の意思も確認できないまま一方的に意思を伝えようといつかしてしまいそうで、それが良い結果を生むとは到底思えない。
真実は永遠に分からないが。

 

だが、何れにせよ、さらなる別の想いを、同じ事を繰り返してしまう恐怖から、焦りとともにやはり閉じ込めておくべきものだとも。

 

精神的には子供のまま
肉体だけは若返っていく

 

しかし実際の年齢は変える事はできない。

 

"I don't have the right to take your future"

 

あの、冷たいカプセルに本当に入っているのは、自分なのかもしれない。

No hay medicinas, nada.

Hola.

 

趣味だけだなく、日常からも毎回ではないにせよ、

「えっ?」と言う反応を貰う。

 

確かに突拍子もない行動や考え方が目立つのかもしれないけれど、回数でなくインパクトがそうさせてるのかなとも思う。

自分の中には物差しがないので。

 

子供の頃に籠りがちだったのも影響されてるのかもとも思う。

 

毎日同じアニメ、玩具、となると流石に籠りがちと言えど刺激は欲しくなるのだろう。

掘り下げてみたり、横から見てみたり、

玩具何かは中を覗いてみたり、また組み立てたり。

今でも趣味で役に立ったり良い部分もありますが、

こと人間関係、特に趣味以外などだと相手は当然生身の人間、同じ等瞬間もない。

なので興味もでるが、接し方の常に悩む。

 

それでも知り合ったり出会ったり出来る分、恵まれてると思う。

 

切ったり捨てたりは、その瞬間は簡単。

でも戻すことは、不可能。

 

Primavera, se viene...

Besvärande kvinna, Godis.

Hej.

 

自分の事を改めて書くのも、と思いつつも別にみんなが各所の私のぼやきや何かのプロフを見てるわけではないので、そんなのもたまには良いかなと。

 

私は中学生の途中までは、小学校の頃の延長で(いじめられていた)目立たないような、火種を生まないようにだんまりを決め、特に何かに秀でていた訳でもなかったので目立たない生徒でした。

ただ何かしらやはり人とずれるせいか、水泳部に所属していたため若干浮いている部分を自然と選ぶと言うか、何なのか、

運動部にはかわりないのだが、水泳の都合上、シーズンが通年ではない事や、その為に大会も関係するため、新人戦は多の競技より早い時期に、他の運動部が一斉に新人戦となると、「文化部」と同じ扱いに変わるため、早上がりの文化部と同じ授業。

友達も運動が他の種目はまるで出来なかったこともありますが、水泳部にあまり上下関係が無かったことや、男女同じ、個人競技ということもありますが、結果は自分がとうやって来たかの答えでしかないので誰かに文句も当然なく自分に対してとストイックさが際立つものでもありました。

あとプールというやや隔離された空間なので他の運動部のように他の部活から見られて、評価の対象にもなりにくく、

強いて言えば、真夏の期間は羨ましがられるくらいでしょうか?

実際は隣で汗を流してる野球部などのほうが羨ましいとも思う程、自分の運動量では追いつけない、体を動かして発熱してもあっという間に持っていかれるので、傍から見ているよりも真夏ですら寒い思いをしてました。帰宅時には真夏なのにジャージ上下を着た上で唇が紫色になったままで。

 

別に嫌いになったりは無かったです。

他にできる種目も無かったこともありますが、まだまだ集団行動が苦手でさらに、団体種目など到底無理でもあり、唯一、「平均的よりは速い」と自分に少しだけ自身をつけさせてくれたものでもあるからです。

 

この様な部活の微妙な違いや、他でもほんの少しという物の選び方や話し方、そういうものの積み重ねが、最終的に3年生になる頃にはいじめからも抜け出せていたことも手伝ってか、話せる相手も増え、学年でなんとなくでも知られてる様な「あいつ変わってるよね」といった半端な知名度が付くくらいに目立つとも浮いているとも言える感じになりました。

 

先ずはこの辺りで一旦ブレイクとしますw

 

それではまた

 

Hej då!

Muchos amigos están en el mundial.

Buenas.

 

本職のほうで何となくモヤモヤ感が予想外に引っ張ってしまいコラムとして書く方も煮詰められず更には自分自身を賭け(大袈裟)最後になるであろう転職活動をリスクは大きいがやってみようかなと。

 

近況はこの辺で

 

子供時代、友達など殆んどおらず、望んでいない面もあった、今だったら引きこもりにでもなっていたのであろうというのが、現在は友達にこんなにも恵まれるとは当時の自分に見せたい、とは、何故か思わないのですが。

 

一応はそこそこの年数は学校には通っていたので、世間で良く聞く「同窓会」、これに未だ縁がない。

やっているのに連絡がないでも良いのですが、どうやら本当に何もないようで、当時の姿を思い返すと、中学後半辺りからは遊び仲間くらいは出来たのですが、他の人たちもそれなりにやんややんやと遊んでいたはず。

 

高校は流石に大半の生徒との接点がないので呼ばれたとしても当時は何とかは持ち合わせていない。

偏った学生時代でしたので。

一部付き合いの続いている友人は片手の数未満、一人は職場が近い関係もありたまにお茶をするまったりな付き合い。

 

では、今はと言うと、

高校卒業後のその都度縁で知り合った友人たちが、気がつけば○十年の付き合いだったり、やはり何かのきっかけ、

趣味からの接点などが多いですが、そこそこ早めにネット生活になっていたわりには昔はリアルからネット、が比較的多いですが、私は半々、と言うよりはその頃から、はじめの切っ掛けがネットでも、リアルで会うことがかなり高確率、

自分も友人も一時期ないし現役から身を引いて一度は連絡もとれずとなっても数年後にネットで再開と言う形もそこそこ。

友人もこれは私は運が良いなと思うのは、一年やそこらではないにも関わらずちゃんと覚えてくれていたこと。

ぼんやり何となくからもとに戻ると言うかとはなく、どちらかと言うと「かなりインパクトありましたよw」だそうで(笑)

その他でも、仕事からと言うのはどうしても少なく趣味などからが多いですが、趣味と違う機会でも会って食事をしたり、鬱がひどい時期に、人間関係をリセットしてしまおうと転居しこちらから連絡などをすることもなくと言う時期でも、あまりに期間が長かった為に連絡をもらったりとかなり気を使って貰っていたりと助けられました。

 

でも今でも、人伝でイベントや飲みに誘われた際等で知り合った方と、SNS等でそのままの続くと言う順序も相変わらずそこそこあります。

 

中には、facebookのように海外と簡単に繋がれるものだと、下手をすると一度も顔を会わすこともないかもしれない、それでも

「友達」

と呼べるのは、

ネットだから上部だけの会話というのが、国民性からと言うわけではないと思いますが、たわいもない話でのやり取りや、相手の国だ何が起きて大変かとか大丈夫かとか、

「これってどうよ?」のような突っ込み待ちなようなものまで、

「腹をわってはなせる」

のが、私のなかでは会ったかどうか関係なく、

「友達」

として思ってます。相手がどう思ってるか等の疑心暗鬼は持たないです。失礼ですし、仮にそうだったとしても、私は信じる方を選びます。

会話も、日本語とは当然いかないケースのほうが多いですが、英語が汎用なのは中学後半で取り敢えずがむしゃらにやっておいて良かった、その前の下地作りをしてくれた私の通名も着けてくれた教会、その名前のお陰で海外でも覚えてもらいやすく(あちこちにあるとも言えますが、日本からとなるとあまりないようで覚えてもらえてますし、本名を知っている仲ですら通名で完結できてしまう)、

あとは勉強してみたは良いが、本当に使う機会など来ないとすら思っていた、スペイン語とポルトガル語も、この場でのみならず、普段地元でフットサルを始めた頃から出来た友人たちとの会話に使うことになるとは自分で想像すらしていなく、でもやっておいて良かったと思えるものを持っていたのもそんな機会がなければ感じることもなかったでしょう。

TRPで何となく隣どうしになったくらいで、日が暮れるまで話し込んだりしたのも、偶然その週に旅行に来ていたラテンアメリカからのご夫婦だったり、誰とどこでどうなるか、

 

そんなことは暇になったときにでもこのように思い返すくらいで良いじゃない?

 

友達自慢?

自慢ですよ、大切な友達ですよ?

何人いようが、何処の人かとか関係もないし、友達が増えた分、片言と言うよりは会話のスパイス的に、友人の母語を覚えて、挨拶や有り難う位いくつ話せても誰にやれと言われたのではなく、自分で決めて、少しでも会話が弾めば良いなと思うから、それだけでも楽しい。

性別、性的志向、国籍、

そんなものは結果論でしかない。

 

これくらいは自慢させてと、ふと思った事でした。

 

あ、因みに、度々「私、英語なんかムリムリ」

とアレルギーがごとく突っぱねる人なども見かけましたが、

基本的には勉強しようか、と言う意味での会話であれば「取り敢えずやってみたら?それから考えればいいんだし」くらいしか言わないようにしてます?

上にあげた、拒否反応の人には、何も言いません。

 

「だって、話せないことが理由で友達になれなかったなんてのは根本的に自分が本当に友達になることも何でもいいから会話をしようとかする気がないわけで、相手が外国人だからも言い訳でしかなく日本人の友達も無理でしょ?」

 

と、腹の中では思っていても口にすることは無いですが、案の定、長く続かないので、その後何をしてるかもしりません。

 

私のなかでは、

友達、と言うよりは"amigo"の方がしっくり来ます。

友達<amigo≒familia

と言う図式なので。

 

今日はこんなぼやきです。

それではまた

 

Ciao!

Muchas minorías diferentes están ahí.

Hola.

 

マイノリティという言葉が随分使われる様になってきたようですが、何も今に始まったことではなく単に日本の中では「少数派」というのは「いない事」にされていただけなんだと、それが最近はある程度それぞれが集まり発言に力がつくくらいの、それでもまだまだ少数派、という感じなのかなと思います。

 

ここ最近は特に「セクシャルマイノリティ(Sexual minorities)」が発言が目立つ内容であったり、発言数の量等から比較的「マイノリティ=LGBT」の含みが強めなのかなとも。

勿論それらだけではありませんが。

共通するのは、

「余りに社会が多数に対してだけに限定された社会構造からはみ出した途端に多様な不便さがのしかかる」

という感じでしょう。

病気等からのハンディキャップも含まれますし、「病気に対しては」何かしらケアがあるとしても、それで良し、という風潮で終始完結させていた気もします。

仕事を探す、住む場所の確保、保険その他、制約や条件付きか条件がシビアか、

「外国籍者」もそうです。余り表立って言われることが少ないですが、私の友人たちからは比較的頻繁に聞くことがあることです。

確かに日本ではかなりの少数派となります。島国という理由からのみならず、外国籍者が日本で働き、住むという事が余りにも前提に含まれておらず、たとえはじめに仕事に付いていて、在住資格があっても、仕事をクピにでもなろうものなら、在留資格の期限内に仕事を見つけなければならず、かと言ってどこでも受け入れてもらえるわけでもない。

言葉の壁、文化の違いからの考え方の違いなどから事前に避けるところは多いと思います。

「日本側から呼ばれた」形の方は、一定期間の後に母国に戻る前提でもあるのと、そのような場合は特別な技術を持っているなどの理由から呼ばれることが多い為元々母国でもそれなりのところで勤めていることが多く、帰国後にも特に困らない、でもこの様なケースは特殊だと思います。

 

初めは、仕事がある国だからと言うだけで移り住んだ中で、定住することを決めた、日本に少しでも馴染もうと努力もしている人達にも、多くの壁が立ちはだかります。

 

今日は、そんな「友人達」との会話から頭を過ぎった1日でした。

 

あくまでも、私の持論でしかありませんが。

 

それではまた、

 

Hasta luego.

Le jour de la Saint-Valentin...

Bonjour. 

 

バレンタインデー。

実は、も何も、あまり良い記憶はありません。

 

思い返せば返すほど、義理ですら生まれて初めて貰った高校生時代は浮かれまくったバカ学生でした。

まだその頃は、「貰うか否か」位しかなく、「こんな日が来るなんて…」なんて思ってましたが、

まあうまいこと後々振り回され、大火傷をしたわけでして、それが分かった頃、それこそ「坊主憎けりゃ」の手前くらい、八つ当たりしかしかねないほどでしたが、私も馬鹿だったなと、そう思うようにはなれました。

 

今は…複雑ですね。

日本式だと、「贈る側」と「貰う側」の図式はまだまだ型にはまった物で、

さて、私は何方に立つのだろう?

と思いつつも、確かに「切っ掛け」としては良い機会でもあります。

 

あくまで、「渡せたら」ですけどね…