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Le vent du Marseille

風のように、気の向くまま…

Le jardin du verre

Bonsoir.

 

人間駄目と言われたり思っていたりする程、気になる方が多くなります。

「見るな」と言われたら、見ないことに意識しなければならず結局意識を強く持ってしまいかえって頭から離れない。

その結果逆に興味に化けてしまったり等とは流れで考えると不思議ではなく、自然とすら言える事例です。

 

かくいう私も、そうなります。

もしそれが単なる「個人的な嫌悪」の場合は、「無い」事までにして視界にすら映らないようにします。

でもそれ以外ではやはり知ったがために、となりがちで、気が付けばそちらの道に進んでいたり等も度々。

 

元々、批判するなら比較や批評をするために一度は確認するために調べたり、見てみたりした上でやはりこうでしたとする方ですが、この考え方からなのかは解りませんが、自分の中で「やっちゃ駄目」というマイルールを作っても、その線引きを遠くにおいたはずが、気が付けば手繰り寄せて目の前にある、などという事も。

 

「恋をすることはいい事だ」

とは、私に限らず世間でもよく言われてますが、

それが意味するのは「片想い」のような辺りまでの事を指すんだと思っています。

両想いだったならともかく、片想いからの発展を望むと、道程が険しいだけでなく、「恋は盲目」とはよく言ったもので、下手をすると「危険水域」まで足を入れてしまう可能性が高く、裏目に出てしまう事も。自爆のみならず、誘爆までも。

 

私も、年齢から来ることもありますが、「今の状態維持が1番支障がなく且つ楽しいに代わりはない」と距離を置こうとして目測を誤ることが既に恐怖とすら映るので、出来るだけ維持を、と思うのですが、そんな理屈通りでは事は運ばないのも、気になる人も人間ですから、パターンどころか、その人の考えや生活がありますから、見えない部分が気になり、時に不安を誘う、

忙しいのだろうと言い聞かせる自分

悪い心象で話を区切ってしまったのでは無いか

無効は社交辞令の延長であったのかも

 

こういう時に頭を過るのは、この様な不安に近い、勝負事なら歩が悪い事ばかりよぎり、精神的に擦り減ります。

でもそれが悪い訳でも、相手が悪いわけでもなく、

「人を好きになるとは相手が誰であれ、こういう想いも含めてなんだ」

としか言えないんですよね。

 

美しくも、触れたら壊れてしまう事への恐怖と対峙しながら…

「硝子の花園」と…

 

À bientôt.