Le vent du Marseille

風のように、気の向くまま…

Você fala português muito bem!

Oi! Tudo bem?

 

タイトルは、ブラジル人が初見でも二言目位によく話してくるフレーズです。

直訳だと、

「あなた(君)はポルトガル語をとても上手に話します。」

ですが、そんな堅い意味合いで使うわけでなく、自分の母語を話してくれる「お世辞」を含ませたような、でも嫌味っぽくもない、例えぎこち無くても使ってくれる御礼にも近い形でしょうか?

「おまえポルトガル語うまいじゃん!」位なものですかね?(笑)

 

最近周囲で、自分の本職とはまた別に外国語に関してやたら飛び交っているので、色々考えていた時に頭を過ぎったので書き綴ろうと思いました。

かなりザックリですが。

 

私は、以前の仕事の絡みからブラジル人の友人が割と多いです。

偶然が重なった産物でしかありませんが、そういうのも縁なのでしょう。

本来なら習うはずで無かったポルトガル語を、流れで半年ほど通い、習う予定で無かったのですから、使うつもりも何もどちらかと言えば消えていくだろう位に思ってましたが、その後についた職場で「使わなきゃいけない」ではなく、あくまでも「使ったほうが良いのかも」という状況が多々重なり、彼らのペースに飲まれ、気が付けば「友達の友達だから連れてきた。だから友達だ」という理屈も無い様な流れにも違和感を感じなくなるほど麻痺するのにあまり時間はかかりませんでした。

 

スペイン語のブラッシュアップをしようと受講するはずだったのが、何故かスペイン語のクラスが(スペイン語科のある大学なのであるだろうといういい加減なプランニング)無く、ポルトガル語講座はあるという(スペイン語科の第二言語はポルトガル語を含めた選択だったそうです)、そこで無いからやめようでも良かったのに、こういう時だけなぜか大雑把であまり考えず「ま、同じラテン系だし隣同士なんだから何とかなるだろう」と割とあっさり決めてしまったけれどもその先までは考えてなかったので、その後5年くらいは書くことも話すことも無く本当に風化していく(当時の仕事は別に外国語は要求されてなかった)、同じく風化待ちなスペイン語も発端は「趣味」として(接点は幾つかはありましたが)始めただけなのでこれもまた、なのですが、その後その職場を離れ、数年間は転々とした挙句やっとつけたのが今の仕事ですが、ここも入社時には外国語は要求されてなかったのです。

ただ、取引先やお客さんなど全てにおいて「国問わず」という世界ではありましたので、何かの表紙で「使ってしまった」ために、元々学歴などは関係なく仕事内容も何も決まる会社なので「外国人枠」に組み込まれてしまった為に日に日に頻度が増していき、決してそれが嫌いなわけでもありませんでしたし、どうせならという「寝かせておくよりは使ったほうがまだ良いだろう」というものが自分にもあり、どうせ使うならもう少し幅を持たせたいという欲も出て、未だ学校などには通う時間は取れないので、友人などで体当たり的勉強を地味ですが続けてはおります。

 

英語など含め(アルファベットを見ると、=英語と思われるのもここに含まれるのかもしれませんが)外国語アレルギーと、ご本人達はその台詞で「避ける」のをよく見かけます。

言葉が理解できないや知らないならまだ解りますが、アレルギーと言われてしまうと、何かよほどのことでも身に起きたのかとすら思ってしまいます。アレルギーとはそういう原因が蓄積していった結果で発生するものですから。

生理的に無理

とは異なりますが、実際にはこちらを言うべきところを何故かアレルギーと口にするのがちょっと私には理解し難いところです。

 

このように書くと、

「それは話せる側の理論だ」

と言われるでしょうが、私にも学生時代大嫌いな科目は多く、逃げるのに精一杯努力しました(笑)

 

ですが、「言葉を習う」という事は自分もはじめは単なるコミニュケーションの道具でしかないと思っていましたが、知らない文化や違う考え方、そしてそういうふうになった経緯などそれらが生まれていく過程等も加わり、

「異なる文化、異なる考え方、それでも同じ人間」

と考え方などに幅を持たせてくれたという面からも「やって良かった」

そう思います。

言葉は生き物なので、完璧というのも事実上は無理ともいえますが、可能な限り使えるようにはしていきたいです。

 

オマケですが、一時期ニュースにもなりましたが、

プロサッカー選手のクリスチアーノ·ロナウドが日本に訪れた際に、記者会見とは別枠でサッカー少年からの質問に答えるという場が設けられた際、

「プロである事とは」と「日本人の嫌な一面」を同時に見る事となりました。

少年はプロになりたいがその為に何をすべきかなど子供ながら夢に向けての質問をしました。

その際少年は、恐らく辞書や翻訳機、パソコン等を駆使したのであろう、ロナウドの母語「ポルトガル語」で一度も習ったことのない言語でも必死に質問をしていました。

それは少年は本気であった証拠でもあります。

ロナウドはそれを一生懸命耳を傾けていましたが、

何やら周囲からの雑音、それもクスクスとした笑いというよりは失笑にも近い声が会場の記者など「大人」から聞こえてきましたが、初めは何が起きたのか解らず、会場にいた通訳さんに説明を求め理由を知った途端に、

「何が可笑しいのか?少年はちゃんとポルトガル語を話してる。私は彼のポルトガル語は素晴らしいし何を聞きたいのかも理解できた。」

私もうる覚えな箇所が多いですが、ロナウドはそれ以上大人に対して文句を言わなかったと記憶しています。彼には少年の質問に答えるほうが大事なことと考えていたからだとも、笑っていた大人に対して感情を爆発させる時間がロスになることを避けたかったんだと思いました。

その後丁寧に、でも決して良いことばかりではなく現実を見据えた答えを少年に返していました。

 

英語(外国語)アレルギーを生む土壌もここに関係するのかとも思いました。

「完璧に話せないと恥ずかしいから『話さない』」

これがまかり通るのも不思議で、

「意見があっても解って貰いない『だろう』から、言葉を飲み込むことで荒立てたくない」

これが吉と出るかは場合によるでしょうが、それが例え自分に不利益になるかもしれなくとも、波風を立たせて自分に目が集中することが恥ずかしくも耐え難くもあるということからそちらを優先させているのも「奥ゆかしい」の一言で片付けて良いのかな?と思った場面でした。

 

本当はもっと言語自体に関しての事を書くつもりでしたが、案の定それました(笑)

 

その辺りに関しては、また後日と言う事で。

 

Tchau!